メンバーの軌跡を残す「花園アレイアーカイブズ」今回は、2020年6月から2022年6月まで入居していたアーティスト多田恋一朗さん・谷口洸さんを紹介します。自分らしく作品をつくることを信条として活動するふたりが、花園アレイで得たものとは。
入居時期
2020年6月-2022年6月
多田恋一朗
1992年東京都生まれ。2016年東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業、18年同大学大学院美術研究科絵画専攻(技法材料研究室)修了。在学中より、「絵画・運動(ラフ次元)」展(DESK/okumura、東京、2015)や牛窓・亜細亜藝術交流祭(瀬戸内市尻海地区、岡山、2017)などで精力的に発表を重ねる。
インスタグラム
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谷口洸
1993年生まれ。愛知県出身。東京都を拠点に活動。 シドニー(オーストラリア)とマルタ共和国に留学したことにより見出された自己の中にある日本またはアジア的な感覚・感性を利用しながら絵画やインスタレーション作品を制作している。
インスタグラム
https://www.instagram.com/k10600570akira/?igshid=MzRlODBiNWFlZA%3D%3D
やりたいことに向き合える信頼関係
──アトリエとして利用するため花園アレイに入居されていたおふたりですが、東京藝大の同級生なんですね。
多田:はい、同級生であり、学部生時代から一緒に展覧会を企画するような仲でした。谷口は留学をしていたので僕が先に卒業して、別の場所でアトリエを借りて活動していました。前のアトリエを出るタイミングと谷口の卒業が重なり、一緒に活動できたら面白そうだと思って声をかけました。
谷口:僕も多田も、現代美術の中で絵画が好きなんです。さらに、美術に対する考え方が合うんですよね。若いうちからアーティストとして有名になる方法の一つとして、作品に時事ネタを取り入れたり、政治メッセージ性の強いプロジェクトをするような手法もあるのですが、僕の場合はそれがしたくてアーティストになったわけではありません。それよりも、自分が好きなこと、やりたいことを研究したいという思いが強い。多田も近いところがあって、「自分がやりたいことがある」というのが、すごく信頼できるというか。
多田:そもそも僕は、周りにいたアーティストの友人たちが自由で楽しそうに生きてるのを見て、自分もそういう人たちと遊び続けたいと思ってアーティストになったタイプ。「こういう思想があります」と社会の中で表現するよりも、自由にやりたいことをしていきたいんです。また、競争意欲のある人も多い美術の世界の中で、谷口はそういうタイプではありません。歳を重ねても、純粋に絵の話と制作の話ができる、貴重な友人です。
──アトリエを探す中で、なぜ花園アレイに入居を決めたのでしょうか。
多田:友人の高木遊というキュレーターから花園アレイを勧められました。彼は、5階のギャラリー「The 5th Floor」でも展示を行っています。高木やその周りにいる美術関係者と、僕の友人をつなげるようなことができたら面白いと思って入居を決めました。また、美術関係者だけでなく、スタートアップの人とも交流できるのは魅力的でした。
谷口:「The 5th Floor」があるので、藝大生も含めていろんな人が集まるとも思いましたね。根津という場所柄、藝大の友人たちもふらっと遊びに来やすそうですし。話を聞いたときに「人の動きがありそうな場所」だと感じて、せっかくアトリエを借りるなら、そいう場所がいいなと思いました。
同世代だからこそ気を遣わない関係ができる
──入居していた時期はコロナ禍で色々難しかったこともあると思いますが、入居してよかったことはありますか。
谷口:僕と多田は、2021年8月-9月に「ストレンジャーによろしく」という芸術祭を金沢で開催しました。この芸術祭は、花園アレイに入居していたから実現できたようなものです。
多田:金沢で開催した芸術祭は「ストレンジャーによろしく」の第3回でした。「ストレンジャーによろしく」は、僕が谷口や仲間と一緒に始めた、アーティストが主催する、アーティストのための芸術祭です。通常の展覧会は主催者がいて、キュレーターがいて、その趣旨に沿ってアーティストは作品を作りますが、アーティスト自身がやりたいことを実現できる芸術祭にしたいと思って、数年前に始めたんです。金沢での芸術祭の準備は、花園アレイに来てすぐに始まったので、この2年間は芸術祭の準備をしていた2年間でもあります。
谷口:大規模な芸術祭を開催する上での運営ノウハウを、花園アレイを利用していた同世代のキュレーターから聞くことができたのは大きかったですね。ボランティアスタッフをどうすればいいかとか、WEBサイトを作れる人を紹介してもらったりとか、プレスリリースの書き方を教えてもらったりとか。
多田:僕たちアーティストの持っている基礎スキルと、キュレーターが持っている基礎スキルは全く違うものです。こうやって大きな芸術祭は作られているんだと、色々教えてもらいました。花園アレイ以外で、キュレーターとフラットな関係で出会うことってあまりないと思います。キュレーターは作品やアーティストを選び、アーティストはキュレーターに選ばれるという関係性ですから。また、キュレーターは世に知られるまでに時間がかかることが多いので、年上の方も多い。そういった意味で、高木を始めとした同世代のキュレーターと繋がれたのはありがたかったですし、だからこそ相談しやすかったですね。東京藝大の大学院に「アートプロデュース専攻」ができて、キュレーションを学ぶ学生が増えたのも大きいと思います。そこで学んでいる人が花園アレイに来たことで、関係性を作れました。
──金沢での「ストレンジャーによろしく」では、来場者数やメディアの反響、収益的な面でも芸術祭としては非常に良い結果だと聞きました。展覧会を通して得られたことはありますか。
多田:僕たちアーティストに、展覧会開催のノウハウが蓄積されたのは大きなことですね。また、芸術祭で出会ったアーティスト同士がコラボして新しい企画が生まれたという話もあり、本当に嬉しいですね。
谷口:これから生きていくための力が身についたと思いますね。また、花園アレイがある根津地域の人と繋がれたことも大きかったです。協賛金を支援いただいたり、2023年2月に根津で開催した芸術祭「うららか絵画祭」に繋がりました。
多田:僕らの芸術祭は「お祭り」という意識を大事にしています。みんなでお祭りをつくるから、みんな仲良くなる。自分らしく作品をつくるアーティストの輪を広げて、20年、30年後にみんなで活躍していけたらと思います。
世代が変わっても縁が生まれる循環を
──2022年6月に花園アレイを卒業しましたが、おふたりにとってどんなタイミングだったのでしょうか。
多田:芸術祭も終わって、制作にガッツリ集中したいと考えたときに、もっと広いスペースのアトリエに引っ越すことにしました。僕を誘ってくれた高木や同世代の人もちらほら出始めていて。みんなでギュッと集まって遊ぶから、次の段階になったと感じています。
──最後におふたりの展望と、花園アレイに期待することをおしえてください。
多田:花園アレイができたことで、池之端・根津に愛着を持った美術関係者が増えたと思います。せっかく東京藝大がある場所なので、文化的な動きがもっと生まれたらいいなと思います。地域でアートスペースを作るような流れもあるので、増えていくといいですね。そしてこの地域から、美術批評や市場的な観点とは違った、若い人の視点で新しい何かを生みだす雰囲気が広がっていけばいいなと思います。個人的には、目の前の作品に自分らしく取り組み続けたいと考えています。また、今年は海外での展覧会もあるので、海外でも活躍できるような土壌を作りたいです。ちょうど30歳。30代が始まったところなので、ガッツリやっていきたいですね。
谷口:僕たちは、いわば花園アレイの第一世代。第一世代はコミュニティの活性として成功だったと思いますし、この循環が続いていくことを願っています。いま少しずつ世代交代していますが、また次の世代の人たちもステップアップしてすぐに栄転できるような好循環が、何世代も続いていけばいいなと思いますね。個人的には「ストレンジャーによろしく」を世界的に名前が知られるような良い活動にしていきたいですね。そうすれば、もっとみんなが自分らしく楽しい作品を作れるようになると考えています。みんなでいい作品をつくって、世界に羽ばたいて。ゆくゆくはグッゲンハイムのような華々しい場所で展覧会ができるような人生を送れたら最高ですね。
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