「複数の意味」が同時に存在する居場所。仕事も会話も生まれる東京の実家
- 龍男 島田
- 42 分前
- 読了時間: 6分
メンバーの軌跡を残す「花園アレイアーカイブズ」。今回は、2021年から入居されている建築家の榮家志保さんをご紹介します。ご自身の建築思想の根幹にある「複数の居場所が同時にある」という考え方。それが花園アレイという場の価値とどう響き合い、自身の活動の展望に繋がっているのか。その軌跡を伺いました。

入居時期
2021年-現在
榮家志保(えいかしほ)
建築家。京都大学工学部建築学科卒業後、東京藝術大学大学院美術研究科建築専攻を修了。大学院在学中にトルコへ留学。大西麻貴+百田有希/o+hを経て、2019年に自身の設計事務所を設立。住宅、店舗、展示会場構成、小規模ビルなど、規模や用途を問わず多岐にわたるプロジェクトを手がける。
「複数の居場所」が生まれる空間を
──まず、榮家さんが建築を設計される上で、大切にしていることを教えてください。
榮家:常に「複数の居場所が同時にある」ような空間を作りたいと思っています。例えば家やお店であっても、静かに過ごす人がいる隣で、複数人で楽しく話している場所がある、というように。一つの機能に一つの部屋を割り当てるのではなく、使い方によって空間が分裂したようにも統合したようにも見えたり、見え方が変わってきたりするようなものができるといいな、と。
手がけるものも本当にいろいろで、住宅もあれば、展示の会場構成、お店や写真スタジオが入った小ビルまで、特定の分野に絞らず、住むところから働くところ、不特定多数の人が訪れる場所まで幅広くやっています。
──建築の道には、いつ頃から興味を持っていたのでしょうか?
榮家:大学で建築学科に入ってからです。高校生の時、ものづくりが好きで進路を考えたのですが、美大に行くほどの準備はしていなくて。週一で所属していた美術部の先生に相談したところ、「建築は総合芸術だぞ」と強く勧められたんです。「絵も描くし、模型も作る。建築ができたら家具もカバンも作れるよ」と言われて、「それ、ありかも」と。そこから建築学科に絞って受験勉強を始めました。
実際に京都大学の建築学科に入ってみると、設計の過程がすごく面白くて。自然と設計の道に進みたいと思うようになりました。
キャリアを拓いた、トルコへの留学
──大学卒業後、東京藝術大学の大学院に進学されています。
榮家:学部時代は論文で卒業するのですが、もう少し制作を続けたいという思いがあり、制作で修了できる藝大の大学院を受験しました。京大が80人だったのに対し、藝大は学部は一学年15人、院は一学年約20人という少人数で、先生との距離も近く、学年や年齢に関係なくフラットな環境がすごく良かったです。
──大学院在学中にはトルコへ留学されています。この経験がキャリアの転機になったそうですね。
榮家:はい。藝大の交換留学プログラムだったのですが、第一希望はウィーンでした。でも、面接で先生たちに「絶対イスタンブールだよ」とすごく推されて(笑)。ヨーロッパとアジア、二つの文化が衝突してきた土地という点に元々興味はありましたし、「学位を取るんじゃなくて、住んでくればいいんだよ」という言葉に背中を押されて決めました。
この1年間の留学で、いわゆる一般的な就職活動の時期を逃してしまったんです。でも、そのおかげで選択肢が解放されたというか。帰国後、ご縁があったアトリエ系の設計事務所に進むことになりました。
「東京の実家」としての花園アレイ
──花園アレイとは、どのような経緯で出会ったのでしょうか?
榮家:藝大で助手をしていた時に根津に住んでいて、任期が終わるタイミングで独立後の事務所を探していました。スタッフも増え、3人で働ける場所を近所で探す中で、偶然ここを見つけました。
──数ある物件の中から、花園アレイに入居を決めた理由は何でしたか?
榮家:まず、空間がすごく気持ちよかったんです。明るくて、最小限の改修なのに清潔感があって。走り出しの私たちには広さもちょうど良かった。また、東大と藝大の間にあって、技術とアートのスタートアップを応援したいというコンセプトを聞いて、すごく共感しました。そして、尊敬する写真家のゴッティンガムさんが入居されていたのも、「ゴッティンガムさんがいるなら、きっと良い場所に違いない」という大きな安心材料になりましたね。

──実際に入居してみて、どのような価値を感じましたか?
榮家:いろいろなフェーズで面白さがありました。入居してすぐ、大きな展示の準備で作業スペースが足りなくなった時、管理の方に相談したら「今空いているから」と別の部屋を貸してくれたんです。人と人との関係性の中で柔軟に対応してもらえるのが、すごくいいなと思いました。
1階にカフェができてからは、その価値がさらに深まりました。独立して1人や少人数で仕事をしていると、どうしても会話する相手が限られてしまい、思考が凝り固まってしまう瞬間があります。そんな時、カフェに立ち寄れば誰かがいて、仕事とは直接関係のない雑談ができる。その緩やかな会話が、凝り固まった頭をほぐし、新しいアイデアのきっかけを与えてくれるんです。
イベントのような特別な場でなくても、日常の中にそうした時間が自然に生まれることが、私たちにとっての「癒やしの場」であり、創造性を保つ上でとても貴重な環境になっています。
それに、夜遅くまで作業していると、他の部屋の窓に明かりが灯っているのが見えるんです。その光景が「一人じゃないんだな」という静かな支えになっていて、まるで大学の研究室や寮のような感覚でした。それぞれが違うことに打ち込みながらも、同じ場所で頑張っている仲間がいる。この独特の連帯感が、花園アレイならではの価値だと感じています。

設計と別の軸で「学びや表現の場」を
──現在は京都に拠点を移されたそうですが、花園アレイとの関わりは続いているのですね。
榮家:はい。事務所の機能はほとんど京都に移しましたが、花園アレイは手放すのが寂しくて。私にとって「東京の実家」のような場所なんです。なので、今も部屋は借り続けています。部屋を何人かの建築家の方に使ってもらい、私たちが東京に来た時のための拠点としてシェアしています。
──最後に、今後の展望についてお聞かせください。
榮家:京都に拠点を移し、まずは目の前のプロジェクトを一つひとつ実現させていくことが目標です。その上で、今の事務所を単なる設計業務の場としてだけでなく、設計とは別の軸での「学びや表現の場」にしていきたいと考えています。小さなトークイベントを開いたり、冊子を作ってみたり。
花園アレイに来る目的が、仕事だけでなく、カフェでランチをしたり、誰かとおしゃべりしたりと複数あるように、自分の事務所も人が集まる目的が複数ある方が楽しいと思うんです。それは、私が建築で目指している「複数の居場所が同時にある」という考え方にも繋がっているのかもしれません。




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